
100円たんけん 中川ひろたか
図書館絵本。
100円で買えるもの、なんだろう?
100均から、近所の商店街へ。
物々交換から、貨幣へ。
この頃、おこづかい、お駄賃や、ものの価値について考えはじめた子どもたちにとって、勉強になる絵本だった。
100円ショップで うっている スポンジと、
サーモン 1かんと、
さんま 1ぴきと、
きゅうり 3ぼんが おんなじ ねだん。
おんなじ ねうちって いうことなんだ。
100円ショップで うっている スポンジと、
サーモン 1かんと、
さんま 1ぴきと、
きゅうり 3ぼんが おんなじ ねだん。
おんなじ ねうちって いうことなんだ。
じゃあ、どうして おとうとが わるいのに、
わたしばっかり おこられるの?
「おとうとのかわりに おこられてあげる
やさしい おねえちゃん」って、
王子さまとかに
すっごい にんきが
あるからだよ。
(あのコはえらい!!
こんどおしろにしょうたいしよう!)
「そして父と息子として共に銀河を支配するのだ!」
「そしたらおやつくれる?」
だめだ、ハン・ソロとは遊ぶな。絶対にだめだ。
「パパ、大好き」
ニコラスが つぎの ことばを いう ひまもなく、みんなは さけんだ、
「とりたちなんか くだばれ! とりたちと たたかうんだ!
とりは みんな やっつけろ!」みんなは いつまでも さけびつづけた。
じつは かみのけとか ぼうしが ほしいのかもしれない。
ほんとうは ほかのものに なりたかったのかもしれない。
ナシになりたかったのに→ちょっとちがっちゃった
わたしたちはどこからきたの?
いつかわたしが死んで、わたしのいた場所にぽかんと穴があいても、
きっとなにかがすぐにそこを埋める。
世界はそしらぬ顔で流れていく。
ねえ おねえちゃん、
さっきの えほん こわかったね。
よる おそく おきている こは、
おばけに つれて いかれちゃうって おはなし、
ほんとうかな?
でもどんな紛争地でも 年間 三万人も死んでいません。
そんなに多くの人が自殺する国は日本だけです。
この国は形を変えた戦場なんです。
「あーあ いやだ。もう しんでしまいたい」
きょう、
となりのかないくんがいない。
しぬって、
ただここに
いなくなるだけのこと?
真っ白なまぶしい世界の中で、
突然私は「始まった」と思った。
いやあ、おおきな やどかりが おる。みてちや ごぞごぞ うごきゆう。
「ありゃ まあ おんちゃん、ぽっちり おおたねえ。」
「ひさしぶりじゃが、じょうぶで やりゆうかよ。」
「まっこと ひさしいのう。おかげさんで げんきで やりよらあね。」
だるまちゃんは えい やっ! と とびはねました。
うんと とおくから かけてきて うんとこさ! と とびあがりました。
かさを もって ぴょんとこさ! と はねあがりました。
しかし どうしても とどきません。
「くいしんぼねずみと ぴょんぴょんがえると はやあしうさぎと おしゃれぎつと はいいろおおかみと きばもちいのしし。あなたは?」
「うおー うおー。のっそりぐまだ。わしも いれてくれ」
「あら、いやだ。はを みがかないから、はが きばになっちゃった。きばがある こは、オオカミさんの こどもに おなり!」
そう いわれても、ゆうちゃんは へいきの へいざ。
「それじゃ おかあさん、いってきまーす。バイバーイ」
ひたすら はしるのです
(ひたひたひたひたひた)
こうえんの いけまで、
じてんしゃきょうそうも したし、
おたまじゃくしも とったし、
ブルーギルも つったし、
なつに つかまえた くわがたも、
ちゃんと ひょうほんばこに いれたし、
ボクが ちっちゃいとき、いつも かくれてた
かいだんのした、さがしてみた。
「どこにも いって いないのよ。
ぐっすり、ぐっすり、ねてるだけ」
(…)
「でも じぃじぃ、みつからないの。」
ここ だったんだね?!
ボクの そばに いたんだね! ずぅーっと…。
私に家族と幸せいっぱいを与えてくれたコスタスおじいちゃんと、
フィロおばあちゃんに、この本を捧げます。毎日2人を探し続け、
思ってもいなかったところで、いつも見つけています。
「はると、ママ しんじてるわよ。
すごい えと、しゅりけん、いつも できるもんね。
いま、すこし ドキドキしちゃってるだけだもんね。」
「トッキュウジャーかぞく さんじょう!」
「ママが てつやで つくったのよ♥」「パパ、おなか でてるぞ!」
「あんれま! ババちゃんのだけ、なぜか、トッキュウオー!いや、ババちゃんオーよ!?」
「こんな とおりで なにをしているんだ?
なになに もようを かいて あそんでいたんだと。
ふふん、それが おもしろかったのか。
それで、わしの くるまにも ぬろうとしていたんだな。
え? なんだって! まちがって つけてしまったんだって!
へえー! あめが ふれば もとどおりになると いうのかい!」
そこで、みんなも、えっさか ほっさか
てつだって、きれいな いろを ぬりました。
「さあさあ おつかれ、ごくろうさん」
みんなは そこで からだを きれいにして
おいしい おちゃを のみました。
おいしい おやつも たべました。
「おいしい? だれかの なまえ?」さっぱり けんとうが つきません。
「どうしよう・・・。」
くるんが こまっていると、てんちょうが 1さつの ほんを さっと さしだしました。
「ほんって やっぱり すごい! ぜったい まほうの ちからが あるわ!」
おまわりさんが こえを かけると、まてばじいさんが こまったように いいました。
「さいきん すっかり、めが わるくなってのう、あいようの つえを
なくしてから、ころんでばかりで こまっているんじゃよ・・・。」
「そうだ!ぼくらの ベッドに
おみずを いれて はこんであげようよ」
「おらが これだけ とったから もう いいよ。
じゃ またね。さいなら」
「たろ、じろ、さぶ!
だるまちゃんを たすけるんだ!
しろ、ごろ、ろくも
しっかりてつだうんだよ!」
「わっはっはっは・・・。にがしてなんか やるもんか。
ふくろの なかで からから ひぼしにして、
それから、じゃりじゃり こなにして、
ポットに いれて おゆをいれ、おいしい あかとんぼの
インスタントこうちゃに してやるんだからな。
わっはっはっはっは・・・。」
わたしは これが いちばん やりたかったんだよ。
どんぐり、まつのみ、やまいも、きのこ。たべもの たくさん あつめたよ。さむい ふゆが きても、もう だいじょうぶ。
ときには、嘲笑とするどい批判を受け入れなくてはならないこともありました。(…)「気にしないことさ」とサンタクロース。「かんじんなのは、また元気になることだよ」
おきいほうが いいに きまってる。
ちいさいほうが いいに きまってる。
ハルコは むちゅうで とびついて
いっしょうけんめいに さけびましたが
にゃーにゃーにゃーとしか
こえが でません。
「あぁ おかあさん
わたしが こんなすがたに
なってしまったから
きっと わからないんだわ」
ぼくはアメリカ人だ。1955年2月24日に生まれてすぐに、養子になった。
ぼくを育てた父さんと母さんは、いつもぼくに
「私たちがきみを選んだんだ、きみはそのままでいいんだよ」
と言ってくれた。
ちいさいといはいたずらっ子だった。
ゴキブリ退治の薬を飲んで救急センターに運ばれたり、
電気のコンセントにヘアピンをさしこんで、火傷したり。
そうそう、牧師さんが、アフリカのやせた子どもを神様が救えないわけを応えられなかったから、もう教会には通わなくなった。
なんて やわらかな
ぷっくりした ほっぺ
ママは あなたが だいすき!
「ぼく みなしご」
「おとうさんも いない」
「おかあさんも いない」
「ぼく
ひとりぼっちなんだよー!」
「オリバーは おおきくなったら
いしゃか べんごしに なるだろうよ」
(…)
「オリバーは きっと はいゆうに なるでしょうよ」
さて、オリバーくんは大きくなって、なにになったのでしょうか?
教育ママへ一言、ちくり、と言っているような感じです。作家と二人の画家がチームワークよくつくりあげた、とにかく、笑ってしまう絵本です。
「もしもし、おばあちゃん、たんじょうびプレゼント、どうも ありがとう。」
とおくの ひとと、いつでも はなしが できる。
でんわは べんり。
「はい。こちら、ちきゅうです。」
まさくんは、ようやく にっこり しました。
(…)
「これは、もう、
うんこを した というより、(…)
1ねん2くみは きょうも げんきです。
♪うんちは ほんとに たいした もんだ
うんちは つちの えいようで
つちの えいようは くさきの えいよう
くさきの えいようは いきものの えいよう
くらべられると どきどきする
どきどきすると どうなるの
どきどきすると ひんやりする
どきどきすると ちいさくなる
まっくらで かなしい きもち
かなしい きもちは どこにいる
ちかくで でばんをまっている
ひっぱらないで
おさないで
ひとつ ひとつ ながさがちがう
ひとつ ひとつ じかんがちがう
だからさ あのさ
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、つぎのえきに、おいしい おべんとうを うっているからね」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、おべんとう、まだ あったかいよ」
「あきちゃん、こわがらなくても だいじょうぶ。ぼくが ついているからね」
「つぶれたしっぽには、おふろが いちばん!」
戦争が食べないものが何かある?
きりなしのよだれくりなの戦争は
戦争だってじぶんの考えはもっているわ
だけど けっして知ろうとはしないのよ
じぶんがいま おそおうとしているのが
だれなのかを
戦争はひどい味がする。
(…)
ひとくち飲むごとにみんなを病気にしてしまうのが戦争のしみこんだ水なの
ある日みんな飲まなければならなくなるわ
戦争のしみこんだ水を
この場所で
ひこうき だいすき
ロケット だいすき
うちゅうせん だいすき
とうさん だいすき
のりもの だいすき!
えんぴつで 名前を ぜんぶ
ガーッと 黒く ぬりつぶした。
力を入れすぎて、
えんぴつの しんが
ポキッと おれてしまった。
しげちゃん、親が 子どもに 名前を つけるときってね、
そりゃあ一生けんめいなのよ。
ずっと ずーっと、その名前で 生きていくんだもの、
ぜったいに こうかいしない 名前に しなくっちゃあ
ならないでしょ?
おかあさんは おとうとたちのせわを しながら
たまごにいちゃんに いいます。
「みんなの おてほんに なるように がんばってね、おにいちゃん」
「はい、おかあさん」
「また おかあさんに あたためてもらいたい。
たまごの ときは よかったな」
「ねえ、みんなは
たまごに もどりたいって おもったこと ないの」
「ぜーんぜん ないよ だって せっかく おおきくなれたんだもん」
「まえは できなかったことも、いっぱい できるように なったしね」
「ぼくは もっと もーっと おおきくなって、
はやく おとうさんみたいに つよくなりたいよ」
親もあまりイライラせずに、時々は手伝ってあげたり、叱咤激励しながらバランスよく接すれば、こどももきっと上手にからを割ってくれると思います。(表紙折り部「たまごのからを探して」より)
笑いのたえない人生を!
「きっと きょうは
わらいたくないんだよ、ね?」と
おにいちゃん。
でも、あかちゃんは おにいちゃんを
じろっと にらんだだけでした。
わらって わらって わらいましたとさ!
これは、とこちゃんです。
とこちゃんは、おばあちゃんにもらった このあかいぼうしが きにいって、どこへいくときも、これを かぶっています。
よそのひとは とこちゃんをみて、よく、
「まあ、げんきそうな ぼっちゃんだこと」
と、いいます。するとおかあさんは、
「げんきすぎて こまるんですの。ちょっと めを はなすと、すぐ とことこかけだして、どこかへ いってしまって」と、いいます。
かえりみち、おとうさんも おかあさんも、とこちゃんの てを しっかりにぎって、はなしませんでした。
とうさん とくいの オムライス。
おかあさんも いっしょに いただきまーす。
んー おいしい。
おむかいからも いいにおい。
「ぼくたち、みどりえん しょうぼうたいだ!」
「さあ、しゅっぱつ じゅんび。ばんごう!」
「どうしたの ぼうや こわい ゆめを みたの?」
ぐらが さきの とがった かいがらを ひろってきて ねじりこむと、うまいぐあい、
ポン! と、ぬけました。
だけど「どうしても、どうしても、えんそくに いきたい」という
ぼくのきもちは、「にゅっ」と からだから ぬけだした。
「さぁ!! えんそくに しゅっぱつだ」
おかあさんいぬは はで ふくろを やぶる。
ひもで つなぐと ソーセージは いやがる。
はじめは どうしても うごかない。
(…)
きょうから ソーセージは ほんとに わたしの いぬ。
これからは いつも いっしょ。
いっぱい いろんなことして あそぼうね。
いもくって ぶ
くりくって ぼ
あたし、りりこ。いいこなの。
パパもママもようちえんのせんせいも
みんなしらないけれど、
あたし、とってもいいこなのよ。
でも・・・
ほんとは おおきな おなら ぷーってして、
そら とびたいの!
しかし、「危ないから」といって、お子さんの興味を断ち切ってしまうことはできません。(…)「何が、なぜ危険なのか、そのためには何をすればよいのか」、ということを親子で理解し、家庭に合わせた生活ルールを作り、実行することです。
かえりの バスの なかでも、キティは おうちが
こわれていないか しんぱいで、どきどきしていました。
「もし、おうちが なかったら どうしよう」
今は昔。
鬼が、まだ、いせいのよかったころの話である。
こんなにして、ぬすみをはたらいたり
人をいたいめにあわせたりしているうちに、
おれは人間の心をなくしてしまうぞ。
「かぞくは いないし、ともだちは とおくだし。
いつも ひとりで おいわいしてるんだけど・・・。」
だけど うまれてすぐに わかれてしまった おかあさんが ほとんどです。
あまり、はっきりとは おもいだせません。 それでも
みんなが ここに いるのは おかあさんが うんでくれたからです。
まあまあ、そんなに泣かないの。
うちの子ならいっしょにいればいいじゃない。
イチゴの ごちそう おっこちそう
せかいをこんなにゆたかにおりあげて
もうすることがないのだろうか
かみさまにせかいをまかされて にんげんたちはこまっている
「ぼくは てんかの おだんごぱん。ぼくは、こなばこ ごしごし かいて、 あつめて とって、それに、クリーム たっぷり まぜて、バターで やいて、それから、まどで ひやされた。けれども ぼくは、おじいさんからも、おばあさんからも、にげだしたのさ。おまえなんかに つかまるかい」
そのように作物がよくとれたわけはだな、ウンチやションベンをいっぱい、えいようとしてくれていたからだぞ。
きたねえって?
そんなこたァいっていられなかっただ。
いまの時代のように、いいヒリョウがなかったもんでな。
むかしは、このようなかたちでリサイクルをしていたことを、知っていただけるとうれしいです。また、人々が協力しあって、はじめて住みよい社会ができることも知ってほしいです。(あとがき)
「みーなかった みなかった
じいさんも ばあさんも みなかった。
ゴロロン ゴロロン カボチャよ はしれ!
はしれよ カボチャ ゴロロン ローン!」
ほかるぶくろが かぜに ゆれてる。
すてきな ぼうしを かぶったのだれ?
では、じゅんびたいそう
いたしましょう。
おてて ぶらぶら
おしり くねくね
「わたくしが、これを
そらに ばらまきます。
みなさんは、そのなかから
おんなじサンダルを みつけてください。」
ぼくは いろいろだけど
だから 人生は 楽しい...
どうやら あなたの こころは
まっすぐで、とても じゆうなようですね
そして ぼくは ゆうれいのまちで くらしはじめた
「たすけてよ、おっかあ。
おいら、めも はなも ない
のっぺらぼうに
おいかけられているんだよ!」
すると ははおやは
ゆっくりと こちらを むいて・・・
「おとうさんが おじいちゃんから もらったのは はげだけじゃないもの」
そのときがくるまで、図書館の本はまもられています。
バスラの図書館員の手で。
「ひどすぎる!いくらなんでもにんげんどもがかわいそう!」
(…)
あらまあ、なんだかりっぱなかんちがい。
それからくちをあけて
ひなたぼっこをしました。
とぷとぷ
ゆうひがしずみます。
そのすきに
シモンは
ゴロンと ねころび、
やりたいほうだい
しほうだい。
いちばんめに とびだした まめは、こう かんがえました。
「あそこで オニの おめんを つけてる ひとは、
オニの ふりを してるだけで、
いつもは ふつうの おじさんだ。」
「お、ぼくの だいこうぶつ!たかかったろ?」
「えきまえの スーパーで とくばいだったの」
「でかしたぞ」
かわいくて、美しくて、やさしくて、かしこくて!
みんなみんな このおひめさまを 好きにならずに
いられませんでした。
あいうー
えおか きく?
だ ぢづて?
ど なにーぬ
ねのはば ひっひっひ
ぶべぼ まま
うさぎは
ことばを
たったひとつしか
いませんでした。
それは・・・!
とりも なかない
しずかな よる。
『はつゆき』 作・絵 西片拓史
みずうみの ほとりの
ちいさな こやに
このふゆ はじめての
あかりが ともりました。
むらの こどもたちは、
ひとり またひとりと、
おとなたちより さきに
めをさましました。
これから なにが おきるのかを
しっているのです。
「あぶないじゃ ないか!」
「おかあちゃんに、あやまれ!」
みんなも だまって いない。
ぼくも おもいっきり にらんで やった。
駅の みんなは、どっと わらった。
でも、口を ぽかんと あけた まま、
わらって いない 人が いた。
おかあちゃんだ。
ふくらんで
ちぎれる
ほどける
とける
ねじれる
(…)
え?ひきっぺって なにかって?
つまり、およめどんほどの
へっこきになると、
へも 出すばっかりじゃ なく、
すいこむんだね。
人に笑われるような欠点が、みごとに幸せを勝ち取る、へっこきよめどんの話は、私たちに、生きる勇気をあたえてくれるように思うのです。(解説・松谷みよ子)
くいしんぼうの ねこさんに
スープを あげちゃおうかな。
そしたら すぐに
デザートが たべられるよ。
ぐるんぱは ここでも とくべつはりきって、
すぽーつかーを つくりました。
ところが、 おおきな おおきな すぽーつかー、
のってみた おきゃくさんが、
「まえが みえなくて うんてんできないよー」
とさけんだので、じーさんも、「もう けっこう」
と いいました。
ぐるんぱは もう さみしくありません。
びすけっと、まだ たくさん のこっていますね。
「こんな ぼうしじゃ ないんだけどな」
そのうち だるまちゃんは
いいことを おもいつきました。
「さあ おいで。 あかくて ながくて
とんぼでもちょうちょでも
はちでも とまれる はなだよ。
どの はなが ほしいか
いってごらん」
ちいさい だるまちゃんは なきそうになって
おこって いいました。
(…)
「ごめん ごめん。これは おおまちがいの
とんちんかん」
ふゆが すき。ゆきが すき。
つめたい かぜも なんのその。
ひらひら ゆきが まいおりて
あたり いちめん ぎんせかい。
かぜは ねないと なおらない。
あたまも のども いたい いたい。
かぜが なおった。
げんきに なった。
こがらしも ゆきも
もう へいき。
クリスマス イブのゆうがた
いえつくりこびとの トントンは
しごとを おえて
やまみちを かえってきました
ありがとうサンタクロース
ありがとういえつくりこびと
おふろで ちゃぷちゃぷ
あそんでいたら
ゆびにぶどうが できました
パンツ
パンツ はいたら
いちにのジャンプ
パンツ ぬげたら
シュシュシュとあげる
よっつにきって
トーントン
いただきまーす
めしあがれ
あむあむあむ
「ぼく、こねこね つくるんだ。」
ぼうやがいいます。
「よしよし、よーく かきまぜて。」
おとうさんが こたえます。
『へのかっぱ』って しってる?
こまったことや たすけてほしいことが あったら、
へのかっぱー!
ってよぶんだ。
そしたら・・・
だけどね、あそびに むちゅうで これないことも あるんだ。
そしたら きみが、
「へいき へいきの へのかっぱ!」
っていってごらん。
なんだって、
『へのかっぱ』に なっちゃうよ。
そ〜れ びゅんびゅん
スピードのりだ。
子ども達が、注射なんか、へっちゃらさ!手術だってこわくない!と思える、読めば勇気りんりん湧いてくる楽しい絵本がほしい、そんな要望にこたえてできあがったのが、この絵本です。(カバー裏)
「おいおい、のろまな ローラーくん。どいたり どいたり あっはっは・・・」
「でこぼこざかで パンクだよ。ちょっと やすんで、パンクを なおして いるのだよ。」
それから、もう だれにも いじめられないで、
たのしい まいにちを おくることができるように
なりました。
あるばん ぼくは、あひるが ほかの とりたちに
いじめられている ゆめを みました。
ぼくは、よがあけるのを まって、
こうえんまで いってみました。
(…)
ぼくは、すっかり あんしんして
うちへ かえりました。
わたしに とっては
それは、ただの つち。
ふんで あるく じめん。
てで すくうと、
ゆびの あいだから
ざらざらと こぼれおちてゆく。
この絵本は、人間の精神や芸術性や真実がもつ力について語っています。
そういう力は、どんなに束縛しても沈黙させることができないのです。
ーーB.C.
むっちゃん
むがつく
むうざえもん
いたい いたいは
まるめて なげて
ぼうで たたいて
ふわふわ のばし
ほんのすこし昔、母親は子守唄をうたって子どもを育てていた。(…)虚構と真実とのかねあいを赤ん坊はそこで覚える。それは文学への入り口でありm豊かな心をつくる源となろう。(表紙裏、松谷みよ子)
「クリスマス おめでとう」 おじいさんは ぐりと ぐらの
まえに、ケーキを おきました。
おんなのこの おうちには おとうさんが いません。
おんなのこは あたたかい ミルクティーを いれました。
おかあさんの ぶんと じぶんの ぶん です。
おかあさんが かえってきたら すぐ のめるように
ふたつ ならべて げんかんに おきました。
よるは もう そんなに くらく ありません。
アタと こおった なみだの おかげです。そして・・・
・・・おつきさまも もう さびしくは ありませんでした。
「あそこは とっても くらいんだ。
それで、さびしくなってしまってね。」
11じになると、
おとなりのおくさんが、
ビスケットと レモネードを
もってきてくれました。
「さいごは やっぱり
あつあつ ミルクが いちばんだね、アンリ」
だども、こぞうが ぱたぱた はしったって、
おにばさ、だっふぁ だっふぁ、おおまたで
くるから、もう おいつかれそうになる。
いっちゃ ぽーんと さけた
「ノンタン ノンタン、
ぶらんこ のせて。」
「じゃあね、
えーと あのね・・・、
1・2・3、・・・。
えーと 1・2・3、
で・・・。」
あさ おきたら みんなが
ないててん。
なんか わかれへんけど
ぼくは にわに はきました。
ぼくは
「かわいそうに」と ひとに
いわれるたびに おもうねん。
ぼくより おとうちゃんが
かわいそうなんと
ちがうやろかって。
「おい、コラ、なに してる!」
「くるな!みるな!よるな!」
あれっ、なんだろう、このはこ。あけてみよう。
「ねえ、おかあさん。サンタさん、もう しゅっぱつしたかなあ」
「そうねえ、サンタさん、おねぼうしてないと いいけどねえ」
ところが、かすみちゃんが いってみると、
まえに いちごが なっていた ところには、
かれた はっぱが あるだけでした。
それから なんにちかは ぞうでした・・・
また なんにちかは おこりっぽい りゅうでした。
でも子どもは育つ苦労を言葉にできません、子どもは苦労を言葉にならない感情や行動で表現するだけです。クエンティン・ブレイクは、この絵本の中でそういう子どもを代弁しています。
子どもがときに大人の目からは理解できない怪物に見えることは、誰しも経験することです。(…)まだ人間になりきれない、不思議な生きもの、そこにこそ子どもの成長のエネルギーがひそんでいるのではないでしょうか。
そして大人は老いるにつれて子どもに戻っていきます。今度は大人になった子どもが、子どもに戻った大人とともに生きていくのです。それがまた新しい苦労(と喜び)の始まりだということも、ブレイクは暗示しています。
なんてすてきなんでしょう。ジョージとベラは
それを ほうりっこして
しあわせな ひびを すごします。
ずり づづづ ずり づづづ
わにわには だいどころに はいってきました。
がふっ がふっ がふっ
むちゃ むちゃ むちゃ
「・・・」誰かいるような・・・?
うっきょっきょ うっきょっきょ
ずっと 子どもで いるのは、もう あきあき、
へんしんできたら いいな。
わにに なった 子どもの ころの すてきな お話。
はりねずみは、水たまりを のぞきました。
「あっ、水の中にも お星さま!」
ある日、
落ちるなんて
考えられなくなったら。
おなかのすくいいにおい
おなかのすくいいにおい!
たまごの からを つかってみよう。
たまごの からを はんぶんに わって、
えんぴつで からの そこに
ちいさな あなを あけて つちを つめよう。
わしは やまのてらにすむ ふるぎつねじゃ。
たくさんわらって
おおきく なあれ
いちごさーん
はーい
はーい
はーい
くすん、おとうさんは どうして なにも
うんてん できないの。
きたないよ!
ながい ながい じかんのあと
とおく とおくに 光がみえてきました
すべてはその光ではじまり
その光でおわります。
やがて コウキくんは
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
おこだでませんように
いやなことは いやだって、
ひとりでも いけんが いえる。
わるいことを してしまったときは
ごめんなさいって あやまる。
うわあ、すごい おと!
ふとんのなかに ひなんだ!
「うおーっ、なんて すごいんだ!」
くまは うなって、すたこら もりへ にげていきました。
あのね きのうのよるね、うんとよなかに かわいいこが きたんだよ。
たすけて ながれぼし!
「あのう、ごぞんじないかもしれませんが、としょかんのきまりが かわったんですよ」
と、マグビーさんは いいました。
「おおごえで ほえてはいけない。ただし、ちゃんとしたわけがあるときは べつ。」(ずぶぬれライオンのページ)
「かみなりあらしになるよ、
めいっぱい おおきなおとを だしてやろう」
こどもたちはいった。(真ん中あたり)
この えほんの なかに
あなたの
なつの おとは
きこえますか。(表紙カバー裏)
それで木はしあわせでした。
あなたがこの物語の中に何を感じるかは、もちろんあなたの自由です。それをあえて言葉にする必要もありません。そのために物語というものがあるのです。物語は人の心を映す自然の鏡のようなものなのです。(あとがき)
さあ いこう♪
あっ へびくん
へびくんの まえに
いるの だあれ
きいろ
yellow
どうぶつの おうさまだよ。
だれかな?
がおー
チーズもまねして しゅっしゅっしゅ
たとえ ゆめの なかでも、ばいきんまんは
アンパンマンに かてて うれしかったと おもうよ。(最後のページ)
「そんでね、そしたらね、」
「おしっこしといで。」(p14)
人生に「こども」が登場したことで、
自分の立場も環境も、忙しさも優先順位も、
ガラっと変わってしまう「おかあさん」たち。
そんなことにはおかまいなく、ごはんも お風呂も おもちゃも、
すべてがそこにあってあたりまえだった、「あたし」たち。
思い出の舞台裏には、いつもおかあさんの演出があったんだなあ、と
おとなになってから、あの日々の「からくり」に気付いたりして。(p114)
ハルは せっせと はたらいた。
そんな ハルの、ただ ひとつの たのしみは、
ねんに いちどの ぼんおどりだった。
そのときには、ハルは まいばん
むらの おどりばで おどった。
おにぎりは、ボクになる。
Rice balls become me.
あるひ おかあさんぶたが
いいました。
「おまえたちは もう
おおきくなったから、これからは
めいめい よのなかへ でて、じぶんで
はたらいて しあわせを つかみなさい。」
こうして こぶたたちは、それぞれ
よのなかへ でていくことになりました。
ちゅうこは くやしく なりました。
みんなが たんざくに いろいろ
かいて いるのに、
「わたし、かかないもん。」
「またひとつスラムを壊しているのさ」と一羽が言いました。もう一羽は「そいつはひとつの進歩だね」と言いました。(p33-34)
絵本 小さいことにくよくよするな!―しょせん、すべては小さなこと
幸福になるためのすばらしい手段は、
「もっているもの」と「ほしいもの」を分別すること。
もっと多くのモノと幸せを追い求めて、一生を送ることもできる。
もうほしがらないと、心に決めて暮らすこともできる。
幸福は、モノによって与えられるわけではない。(p111)
Tower
たいせつ なのは
これからの ことです。
ポストマン~MONOLOGUE OF THE DEAD LETTERS POSTMAN
20世紀に書かれ、
相手に届くことのなかった、
無数の手紙。(chapter 1)
海にせなかを向けてはあぶないよ!
何かしなければならないことがあるとき、自分ひとりでやり遂げるのと、誰かの手を借りてするのとでは、どちらが「偉い」って感じますか?どちらが価値のあることだと思っていますか?1000円という価格設定に驚かされるが、それは絵本というものを「簡単に読めてしまう媒体」としか捉えていないからだろうか。
喧嘩すること。
我慢すること。
つい比較しちゃうこと。
嫉妬すること。悔しいって思うこと。
何を焦っているんだろう
部屋の中をスローライフを「くまくまちゃん」で表現しているのか。
ほうきでまるくはいたり
また今度っていつだろう?愛すべき頭の大きい動物キャラクターたちのメッセージ集第二巻。
明日の天気も分からぬボクは
今すぐ何か始めなきゃ。