
みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る (新潮文庫) - 未映子, 川上, 春樹, 村上
Kindle本。
村上春樹さんに、川上未映子さんがインタビューしているもの。
川上さんの小説はまだ読んだことがないが、春樹さんと話のうまがあうというか、それはフィーリングと、綿密な事前予習などもあるのだろうけれど、文学的に近しいものなどもあるのだろうか、とても上手に話を聞いている。
そんなわけで
会社でまで、マンガを描く日々が
スタートしました(no.58)
以上、これらの作品を読んで、もし夢中になれない人がいたら、自分は非ファンタジー人種と自覚したほうがいい。もちろん、ファンタジーがわからないといっても、別に人間的な欠陥というわけではないし、むしろ今日的な社会人としては適確であるのかもしれないから、非難する気はまったくないが、しかし人生の大きな喜びの一つをはじめから失っているのは、じつに気の毒という気がする。(p142)
アマゾンでは著名なマンガ作品と同じ場所に並びます。
あなたはマンガの作者であり出版社でもあります。
ぶっちゃけこれがすごい(No.9)
「道楽」、いい言葉じゃないですか。無理に何かになろうとしないで、そのときどきのことを楽しみ、その人が好きだからやる。これはまさに「道楽」でしょう?もしかしたら、だからこそ世の中が見えるというところがあるかもしれない。(no.2201)
オリジナルの名作を書き上げる、というのは本当にすごいことです。(個性的な話が売れない理由 P71)
うちに帰ってきて、寝転んで続きを読みながら、いろいろ考える。悪趣味なことに、この本を読んでいるとお腹が減ってくる。死刑囚たちの生への執着が本から飛び移ってくるような気がする。で、なんか首の後ろが重たくなってくる。なんか腹が立つ。(p17)
少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記 (創元ライブラリ) (創元ライブラリ L さ 1-1)
クリームソースのバリエーションを
考える楽しさの一つは、
具の色がソースに移り、色が楽しめることだ。
ほうれん草はよくゆでて、裏ごししてもいいが、
ここではそのまま生を使って。(p89)
CHECK7 ニックネームに気をつける(p446)
ハリー・ポッター裏話 (作者と話そうシリーズ (Vol.1 J・K・ローリング))
どうしてハリーがそこにいるのか、どうして両親が亡くなったのかを解き明かしていくやり方です。私が創り上げていたのに、、まるで調査でもしているような感じでした。あの列車の旅が終わった時には七巻シリーズになることはもうわかっていました。まだ一冊も出版していない人間にしては、あまりにも傲慢な感じがするでしょうけれど、私にはそういうふうにしか考えられなかったのです。七つの物語をひとつひとつ組み立てて、シリーズを構成するのに五年間かかりました。いつ、何が起こり、誰が登場するかわかっていましたから、書きながら、まるで古き友と再会するような感じがするのです。(p41)
日によって書いたり書かなかったりなんですけど、ノルマとして四枚とか五枚くらい書いておけば、ひとまず安心して眠れるんですよ。(p66乙一)
野口:そうですね。「調べあげた内容から物語を連想する」というスタンスではなく、「思いついたものに必要な知識を収集する」というやり方になりました。(p314)
すべての編集者、さらに言えばすべての読者が求めるものは、矛盾する次のことばで要約される──"異なる同一性"。あなたの書く小説は、読者に同じような満足を与え(…)ほかのすべての小説と充分異なるものでもなければならない。(p35)
比較的若く、二十代の半ばでデビューした私は、折々のインタビューの際、「なぜ小説を書くのですか」と質問されるのが苦痛でなりませんでした。直接そういう言葉で聞かれてなくても、自分の小説について語る必要に迫られた時、書くことの意味を明確にイメージできないでいる自分の未熟さがさらけ出されるようで、怖かったのです。
自分のために書いているのか。それは直感的に違う気がしていました。こんなちっぽけな自分の中にある何かを吐き出すためだけに書いているのだとしたら、きっとすぐの行き詰まるだろうという予感もありました。では他人のためなのか。そう言い切ってしまうと、所詮作家は読者に媚びているだけなのだと開き直っているようで、ますます本心から遠ざかってゆくばかりです。(p125-126「二人のルート 少し長すぎるあとがき」より)
小説を書くというのは、簡単に言ってしまうなら、自我という装置を動かして物語を作っていく作業です。(…)
ところが翻訳というのはそうじゃない。テキストが必ず外部にあるわけです。だから外部の定点との距離をうまくとってさえいけば、道に迷ったり、自己のバランスを崩したりというようなことはまずない。(p16)
まず三冊のノートを準備して下さい。仮にそれをA、B、Cとしておきます。(p175)中学生の頃、市の図書館で借りてきて、この教えを実行した。
最初の頃は、他人の作品を読むのが嫌だった。それが素晴らしい作品だと自分が書けなくなると思ったからです。しかし、小説には決定的な一行なんて絶対にあり得ない、そこに僕は気づいたわけです。言葉なんて、自分の内部にあるものではなくて、外にあるものを寄せ集めてきて組み合わせるだけだと。そこで、他人の小説を読めるだけ読んで、使える部分は使わせてもらおうという風に、発想を変えたわけです。(p10奥泉光)この文章は、自分でも緑色のペンで「そーなんだ!」と書き込みしている、共感した部分。
文章を書くのも、睡眠をとるのも、じっと体を動かさずにいながら、日常生活の単調な合理主義思考から精神を解き放つことである。心身はやがて一定の睡眠時間に順応する。毎晩、六時間から七時間、欲を言えば八時間といったところだろうか。同様に、習慣を身につけることで作家は醒めた意識を創造的な眠りに誘い、いながらにして鮮明な夢を見る。それがすなわち、生きのいい作品である。(p180)
自分の小説の行き詰まりをテクニック不足が原因だと考える人は「小説の書き方マニュアル」を信じる律義さと同じで、たしかに真面目で素直ないい人ではあるだろうが、本当に自分が書きたいことが何なのかをきちんと考えていないという意味で、怠けているということになる。(p35)
コミットメントというのは何かというと、人と人との関わり合いだと思うのだけれど、これまでにあるような、「あなたの言っていることはわかる、じゃ、手をつなごう」というのではなくて、「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、ぼくは非常に惹かれたのだと思うのです。(p84)
作家の人生とは孤独なものである。なぜなら、この職業を選んだ者は、長い時間、きびしい、途切れることのない緊張にひとりで耐えることを要求されるからである。骨の折れる、ときには挫折感をともなう試行錯誤のなかで、自分の道を手さぐりしつつ、自身の手法や文体を発見してゆくのが作家なのだ。(p18)
いや、大自然を写し取るのではなくて、小さな画布の上に自分で大自然を創造するのである。(p11)
「小説」とは、小説の素になるもののことです。これがすごく、ぱーん、と、突き抜けるような感じがした。
(…)
小説の歴史は、その星屑やガスが、すなわち「小説」であったものが、小説というものに変化してゆく歴史でした。(p181)
とりあえず、いちから勉強するつもりで、半年間ペンを持たずに、バイトのかたわら本を読みまくり、映画を見まくった。その中で、自分にとって面白いものはどれだったか、逆に面白くないものはどれか、ベストテンみたいに並べて、自分の中のメジャー性を捜す作業をしたんです。(p156)今、僕がこのブログでやろうとしていることは、こういうことでもあるのかもしれない。
つまり人情コメディーアクションみたいなもの。こまっしゃくれた子供に、やたら元気のいいジイサン、疲れた中年男、その中に悪いヤツがからんでと、そんなパターンのキャラクターを動かしていけば、ストーリーは出来るということもわかった。(p158)
考え続けるということは、答えがあることではないのです。野球選手が素振りを続けるようなものですよ。(p23保坂和志インタビュー)
「いろんな人と直接会って、世界は自分中心ではない、自分はそれほどの者ではない、そこに気づくことでその後の進み方も変わると思う」(p165)
人がサビシさやムナシさと向きあう恐怖から逃れるために、立ち続けているための「コマの回転」は今や「消費」です。そしてモノを売ろうということはどこかでそーゆー人を永遠にシアワせにしない、お金を払わせ続けるサイクルに加担している部分もあるような気がするのです。だって、シアワセになっちゃったらモノなんて買わないもんなー。(p206)
あれは、素人の書いたものをみんなで面白がって読むことの流行なのであって、小説と読者の関係ではない。(p210、「7 ブログ、携帯サイトに発表する」)
『オリヴァー・トゥイスト』は当初「ベントリーズ・ミセラニー」という月刊誌に連載され、人気を博した。ディケンズは25歳にして初代編集長でもあった。(p57)
人生が充実していれば、いわゆるリサーチは不要なのかもしれない。(p160)
「ひと目、五十手」という言葉がある。(「これは恐ろしい本である」より)
もし、素人がこの本によって”長年”を経ずして、いとも簡単にプロになれるとしたら・・・。(「これは恐ろしい本である」より)
『愛と幻想のファシズム』では500冊くらい経済書読んだんですけど、それは、経済のことをわからないと書けないなあって思ったからなんです。
そして彼らが示してくれる可能性は、そのすべてがわたしの専門外の情報だった。個人的にはまったく興味のないこともあった。だがわたし自身の興味などどうでもよくて、重要なのは『希望の国のエクソダス』という小説にとって必要な情報かどうかということだった。(物語が情報を捉える瞬間──『希望の国のエクソダス』が生まれるまで)
この友だちの「?」のついたセリフが、友だちの一番の関心事なのです。(P73)
わたしは、観た映画について話す時間が大好きだ。
Q 古い映画は観なくていいというのはどうしてですか?(p98)
本書を読むことは、「語られている中身」に対して「語る方法」がどんな効果を及ぼしているかを考える機会になるだろう。(序文)
陳腐な「内容」の物語に感動を求める風潮に辟易している読者に、『コミック 文体練習』は、ひたすら「形式」に徹することから生れる快楽を与えてくれるでしょう。(訳者あとがき)
実際の風景では、決して見ることのできない、柱の中心を通る仮想線なのですが、これを一点鎖線でしっかり表示するわけです。九州旅行中に読んだ。
べつに小説マニアでなくとも、ことストーリーに関しては、ガキのころからドラマや映画やマンガなどで千差万別のストーリーをさんざん仕込まれてきたヘビーユーザーばかりなのである。この文章で、「ヘビーユーザー」という言葉が出てくるあたりがぴったりきた。
しかし、秘密を探りあてようとすると、通例、作家は要心深くなる。「作家にとって語るべき秘密は何もない。作品がすべてなのだから」といって難攻不落の障壁を築くか、質問を無視したとりとめない話で煙幕を張りめぐらすかーーいずれかの手段をえらぶものである。
小説というのは本質的に「読む時間」、現在進行形の「読む時間」の中にしかないというのが私の小説観であって、テーマというのは読み終わったあとに便宜的に整理する作品の一側面にすぎない。
こういう状態ーー言葉が本来の意味を失って、形だけのものになってしまった状態を、言葉が自動化する・機械化する、と言います。
これから二カ月、ハワイに行って小説を書く予定です。やっぱり隔絶された場所に行かないと集中できないし、日本にいて隔絶されるというのはほとんど困難だから。結局、『ノルウェイの森』以降、すべての長篇は海外で書いていることになりますね。