
夜回り先生
水谷 修
昔、この人に救われた、と言った後輩の前で、「夜遊び先生」と間違って言ってしまい、大層怒られたことがある。
水谷先生は、私の地元に講演に来られたことがある。
そして、本にサインをしてもらったことがある。
直接、水谷先生の教え、のようなものに触れたわけではなく、同じ教師として見つめた。
水谷先生がサインをすると、本が売れた。
講演をすると、テレビに出ると、知名度が上がって、また本やDVDや講演のチケットが売れた。
そういうところに、どこかキナ臭さを感じていた。
望んでもいないのに孤独を強いられ、その孤独に耐える方法を知らないだけだ。
孤独感をなくすために、わざわざ夜の街に入り、身を滅ぼさなくてもいい。(p107)
本書も、語りかけている。
その熱い語りを切望している子どもたちもいるのだろう。
ひとつの物語として、この本は機能する場合もあると思う。
もちろん夜の世界にも愛はあるが、明日につながる愛ではない。お互いになぐさめ合いながらつぶれていく愛だ。(p150)
講演で聞いた話についても、どこかうまい演説者だ、というふうな印象をぬぐえない。
語られている言葉とその内容は、すぐそこにある現実かもしれないが。
感動する一方で、どこか不信感も抱いてしまう自分がいる。
もちろん、水谷先生には水谷先生のやり方があるのだろう。
どこか腑に落ちないものを感じるのなら、自分は他のやり方を選べばいいだけのことなのだが。
メディアの中で、いじりやすいようにみんなが周知するところの存在となる人は、僕だけではない、勝手気ままな批判に耐えなければならない。
話を突き詰めれば、子どもが悪かったためしはなく、必ず大人に原因がある。(p127)
水谷先生の考えは、これに徹している。
子どもが悪いわけではない。
大人が悪いのだ。
もちろんそうだと思う。
ただし、それを言い過ぎて、子ども自身の責任感とか選択とかを奪い去らないように、注意しながら、愛情と最低限の教育コンテンツを提供していく。
大人が過保護であってはならない、とも思う。
去年10月頃の新刊から音沙汰がないようである。
今もどこかで夜回りをしているのだろうか──。
それとも、持病と闘っておられるのか──。
なにはともあれ、私にとっての、印象的な教師像の一人である。(他には実際に教えてもらった恩師や職場の先輩方、鬼束、金八、女王、ザ・中学教師などの作品中の先生など。)