2007年09月08日

0072『Garden』

★1
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Garden (Cue comics)
古屋 兎丸

もうこれ以上読めないと思ったら、迷わずすぐに読むのを中断して下さい。
ブックオフの100円コーナーで出会った作品。
古屋氏の処女作「笑顔でさようなら」含む7作。
最後の「エミちゃん」については袋とじになっており、ハサミで切り開いて見るようになっている。
「「エミちゃん」の読み方」なる儀式のページがあり、「注意:人によっては不快と思われる描写があります。もうこれ以上読めないと思ったら、迷わずすぐに読むのを中断して下さい。」などと書かれてある。

Amazonのレビューを見てもかなりのものだとわかると思うが、グロい。
グロい、という言葉を遣うと、それが消費される前提にあるようなので別の言葉を探そう。
残酷で、無慈悲だ。(これで表現できたのだろうか。)

それでも作者にはそれを描かねばならない理由があった。
あとがきにはこう書かれてある。
「その衝動そのものが<暴力>というキーワードにつながっていったのですがそれが幼女への暴力へと向かったのは痛さがより自分に突き刺さる形で描きたかったからです。」

人に勧められない、技術の未熟さ、などで星はひとつだが・・・。

残酷描写について、僕はずっと答えが出ないままでいる。
それは社会にとって必要なものなのか。
それによって解消、カタルシスを得る者もいると思う。
僕はそういう描写を見ると、現実を超えた現実を見る思いがして、なにものかを考えられることがある。
しかし一方で、その者の妄想を助け、結果、最後は社会の迷惑行為、迷惑と呼ぶには軽過ぎる行為に走る者も出てくる。

処女作である「笑顔でさようなら」についてだが、フランシス・ベーコン(Wikipedia)という作家のトリビュートらしい。
多くの作品が見れる:francis-bacon.cx / abstract art gallery paintings oil acrylic collection
特に、これらの絵これらの絵を参考に描かれたものだと思われる。

調べているうちに、谷口幹也、フランシス・ベーコンを語るという文章を見つけた。
美術教育に関するこの論考は面白かった。
「誕生は自分の意志の外の出来事である。自分が生れたこと、およびそれにともなう外=親からのこうした強制的な書き込み、すなわち暴力。これが誕生という、母胎からの分離劇における主人公である子供の内的構成である。(…)このマスメディアの中における悲劇は、恐怖といった非日常への入り口さえも、消費への入り口に改ざんしてしまう。(…)彼の絵の持つ暴力性とは、戦争などの暴力ではなく、私たちがここに存在すること、存在それ自体が孕む暴力性のことだったのではないだろうか。」
存在それ自体が孕む暴力性。それは原罪とはどのくらい違うものなのだろうか?

フランシス・ベーコン、Blanka Dvorak、肉と血の絵画さんとこで、「ベーコンが肉体に「性や生」を感じさせるのにたいし、この方は肉体に「死」を感じさせる」というBlanka Dvorakによる絵画作品ギャラリーを知りました。
参考までに。

古屋氏はその後『少年少女漂流記』(乙一氏との共著)や、『彼女を守る41の方法』などを描いていくが、その原点が垣間見れる作品でした。

古屋兎丸
ところで、この人って高校の美術講師?!(年齢も思っていたより年配の方でした。)

うさぎ☆ひとりクラブ
古屋氏のブログ。
posted by B&M at 21:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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