2016年01月31日

0914『頭がいい人、悪い人の話し方』

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頭がいい人、悪い人の話し方 (PHP新書) -
頭がいい人、悪い人の話し方 (PHP新書) - 樋口裕一

「頭がいい人」に関する本を、2度投稿したことがある。
0147『頭がいい人の時間術』と、
0272『頭がいい人の習慣術 [実践ドリル版]』である。

僕は、「頭がいい人」になりたいのだろうか?
頭がいい。
スマート。
クレバー。

今年の僕の目標のひとつに、「知的になる」ということがある。
「知的」とは、知識的であるということ、だけではない。
情報や知識をたくさんもっている、いわゆる博学な、暗記過多な、知ったかぶりも含めた辞書的な人間、というだけではない。
パターンが理論に昇華された知識というか、
情報量で隠された裏側が見通せるというか、
ともかく「オトナ」になりたいのだと思う。
落ち着きたいのだと思う。
いろいろな事象を上手に操られることなく操り、まな板に乗せ、うまく調理する。
そういう意味での「頭がいい人」になりたいと思う。
この本は、そういう「頭がいい人」になるための、話し方講座の本だろう。

そういうことを学ぶと、コミュニケーション萎縮になると思う。
こういう話し方は嫌われる。
こういう話し方はダメだ。
こういう話し方は頭が悪い。
そんなに否定ばかりしなくてもいいじゃない。
どんなだっていいじゃない?

いやいや、どんなだっていいじゃない?には、「美しさ」がない。
「美しい」には、「美しくない」が必要。
では、どんなことが「美しい」のか?
考える必要が、ある。

で、何が頭がよくない話し方か、ということを考えるレッスンが、本書だと思う。
なるほど、話し方というのは、コミュニケーションする人間にとって、日常茶飯事なことで、昔、人は見た目が9割といわれていたが、話し方だって見た目のうちだ。
ただそれは、上っ面のうちであって、内面ではないが。

内面がにじみ出る、内面が大事だ、という時代から遠く離れた気がする。
結局、何がウソで、何がホントウなのかなんて、わからないし、それを確かめる時間もない時代になってしまったからだろうか。
内面を磨いてから、なんてことができない時代になったのだと思う。

まあ、話し方、外見を気にしているうちに、内面も変わるとは、教育現場では多々語られることで、例えば、悪ん坊には掃除をさせて、道端のニンジンや雑草を抜かせて、そうして美しく変わった景色があなたのほんとうの心だよと諭すことがある。
トイレのスリッパや、靴箱の上履きをきれいに整えることから、荒れが収まっていくという話も聞く。

なるほど、外面から入って内面に至ることだってあるだろう。
さすれば、話し方から正していくのもいいんじゃない?
そうして、頭がいい人になっていくことも。

表面的に愚かに見えないように注意するうち、実際に知的になってくるということだ。(プロローグ)


ただ、困ったことに、そうして身に付けた頭のよさが、外面だけなのか、内面に至ったものなのか、ジャッジすることは、なかなか難しい。
なんかそういうコンテストやテストみたいなのがあればいいのだけれど、今現在、内面の美しさや美徳とかなんとかは、いったいどこに模範解答があるのだろう?

話をちょっともとに戻す。
この本は、こういう話し方はしないようにしよう、というところからはじまるので、読了する頃には、あれもだめ、これもだめ、と、コミュニケーション萎縮になる可能性もある。
頭のいい人というのは、不自由な人なのかなあ。

現代では、恋愛がとても高度なスキルのひとつになっているという。
恋愛の幻想や、理想の形や、トレンドが多岐に渡り、難しくなっており、従って、恋愛をするというだけで、ひとつの巨大なミッションになっている。
進学や、スポーツや、語学や、試験や、資格や、趣味など、人生においてミッションは数多くあり、それぞれに歴史と最新情報が存在する。
それらを一個の人間の個体が把握し、うまく立ち振る舞うのはなかなかに難しい。
そうして、恋愛から降りる若者がいるんだそうな。

若者は人生勉強のために恋愛をすべきだろう、と思う。
一人の興味を持った人間について、ああでもない、こうでもないと考えること自体が、コミュニケーション力を高くする、と思う。
ただ、その時に、不自由を膨大に強要する相手とは、やりにくいし、恋愛は、自分を殺してまでするものでもないと思う。

ところで、本当に頭のいい人は、あるいは他人の反応まで読んで、コミュニケーションするかもしれない。
他人が気に障ったり、怒ったり、悲しんだりするコミュニケーション方法をとって、その人を右往左往させて、それを冷淡に見ているかもしれない。
本書は、逆に、悪い人になるための話し方を学ぶ本でもあるかもしれない。
そんな使い方はしてほしくないけれど。

コミュニケーションはさもしい、と言ったのは村上龍だったか。
上司の話し方を嗤い、あるいは上司が部下の信頼を勝ち得るために自分の話し方を省みる、
そういうための本だった。

この頃、「コミュニケーションは政治だ」という言葉がつかえて飲み込めないでいる。
人が人を利用するための。

何も言わなくても、何も求めなくても、ただお互いそばにいれる、そんなのもいいね。

・・・あなたちょっと、人間に疲れてない?

死ぬ時は結局何も持てないんだから、生きている間に持っとこうよ、と言ったのはRadwimpsだったか。
さしずめ、生きている間にたくさんしゃべっとこうよ、口滑らしとこうよ、たくさん反省しとこうよ、というところか。

「頭のいい」悟りを開かれた方々も、さんざんさわぎまわったあとで、静かに、収まるところに収まるみたいだし。
例示:ブッダ、ジョブズ。

人徳のある人になりたい。
人徳があって、知的で、そういう人になりたい。
なれないから、そういう人の話し方を真似だけでもしたい。
そういう頭のいい人になりたい。
この本には僕の理想とする明快な答えは載っていなかったが、そういうものを求めるのは「頭のいい人」のすることではない。
自分が目指す頭がいい人になりたい、なろう、なっていきましょう。
posted by B&M at 22:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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