畳2枚のドヤは寝るだけの機能しかないので、まったく気持ちが安らがないからだ。壁を見ても、「死にたい」「もうダメ」、あるいは「お父さんを許して下さい。わが子たちに顔を出すことも、父である情けも忘れています」みたいな落書きがあって、ますます気分がおかしくなっていく。居場所としての「自分の部屋」が人間には必要だと痛感した。そして、毎日寝場所を探して歩く野宿者は精神的に本当に大変ではないだろうかとあらためて考えた。(p052)
0296『ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」』と共に読んだ本。
大学生の時から釜ヶ先に通い、現在もそこを中心に活動している。
読んでいると、暗澹たる気持ちになってくるが、これがこの社会の一部、現実の一部なのだ。
「死んでから花を投げても遅い」(…)しかもそれは社会的に黙殺され、放置され続けている。そのたびに、明日、あさってとまた橋から路上から公園から花を投げるのか。(おわりに)