
六にんの男たち?なぜ戦争をするのか?
デイビッド=マッキー,中村 こうぞう
学校図書館で読みました。
平和を考える絵本。
・兵士達が無個性でロボット的
・なぜ兵隊を持つのか、ということ(自分の富を守りたい!→侵略の欲へ)
・「6人」の意味は?
・6人の家族がいないなあ
・かも?!(これも欲から。)
シンプル、絵本で分量も少ない、すると、「自分で考える」ということが始まる。
あるいは絵本を必要としているのは、我々大人かも知れない。
絵はシンプルだが、銅版画のような迫力がありました。
彼女の「ネーム」の中に未分化のものとしてあったものを「それでいいんじゃないかな」と肯定していくことでした。その未分化なものとは月並みな言い方をすると「テーマ」ということです。(制作メモ)
私は 31歳
いつ別れるかわからんでも大事な人と一緒に住みつつ
結婚の予感も無く
相変わらずよくわからん大恋愛を妄想し
それをマンガにし生活する
さみしい 女。(最終話)
死んで「魂」だけになる前は 自分の「価値の中心」は数字だった
稼ぐ金額は他人より多い数字
成績の順位は他人よりも少ない数字
新幹線は一分でも速くだし
年齢は一歳でも若くだ
髪の毛は一本でも多く
体脂肪率は20%以下(p153)
どんな短編のタイプがあるのか?
A登場人物の行動や思いをひたすら追いまとめた作品。
Bほんの短い時間の出来事を切り取って、そこに人生やテーマを閃光のように象徴させる作品。
Cナンセンスやサスペンス、ムード、デザイン、エロ、グロ。それそのものを描くのを目的とした作品。
D日記やエッセイ、手紙。
うわ──ん
時間をかけてため込んだ
──これは
あたしの心だ・・・(「バスルーム寓話」)
外に何がある?
地獄ばかりじゃ。
ここがええ。
ここがええよ。(p24)
私はもう元の暮らしには戻れない女になっていた
私には元の生活に戻れる程の心の強さはなかった・・・(「火曜日の愛人」)
「といっても人間の行動形態そのものはあまり変わってないみたい。言葉を持って闘争本能への理由づけがたくみになったくらいの差ね。(p85)」
購入した動機は、既存ユーザーを大切にせず新機種の魅力がないラインナップを出すauに見切りをつけて購入。(p2)僕も同じ意見。
吐き気のような孤独がある(p144)
わたしは結婚した。子どもができたんでしかたなく。
「男同士のつきあいがあるんだよ」
「そういうのサラリーマンの疑似ホモっていうのよ」
交際期間が長かったから新鮮味はなし。夫は早くも家に寄りつかない。(p108)
「わたし当分結婚しないわよ」
「25すぎると条件が悪くなるのよ」
「おかあさんを見てると結婚なんかしたくなくなるわ。おかあさんの人生ってなんなの?」
「まっ親に向かって!」
「わたしがお嫁にいったら!この家であのおとうさんとふたりっきりよ!」(p170)
「あんたいくつになったの?24?」
「もうすぐ25です」
「そうね。20年だわあれから。」
「・・・・・・」
「あんたおとうさんに似てるわね」
「耳はおかあさんに似てるわ」
「ほんとだ」
「ふふ。貧相で寂しそうな耳なのよね。耳飾りでもしなさいよ。」(p197)
どうしたよ。
行くところはあるんだね?
ちゃんと わかっているんだね?
それなら いいんだよ(p171)
──何年もの後 私たちは親のない子をひとり引き取った。
「はじめまして」
「よろしくね」
・・・ちゃんと人を愛したい
「ごはんよー」
「顔洗った?」
「うん」
──最近 あなたの笑顔が少し想像できるようになったよ(「くすねた銅貨」より)
早くなおさないと他の男とヤレない
クサレマンコってまさにこの事じゃん(p58)
安彦 なんかさ、こっきりさんな自分が好きな時代ってあったよねー。
魚喃 あったあった。なんかね、子猫になった気分なの。(p111)
「もー返すから・・・
そんな顔するならわたさなきゃいいでしょ」
「わたさなきゃいい妻」おわり(p088)
人間はうまくできていて、人の体験なのか、自分の体験なのか、情報として手に入れると混ざっていってしまう傾向があります。結果、人の体験でも、読書により自分が体験したような意識になるので、そこからアイディアも出てくるし、自分から動けるようになります。(p56)
もう離れないわよ・・・
私にはどんな呪いよりあなたと別れるほうが辛いんだから・・・(p228)
なんだコレ?
”しげひろのへそのお”・・・?
”しげひろ”って誰だ?うちの家族にそんな奴いたっけ?
・・・(カパ)
!!(p5)
おめーも道具じゃろーが
口ごたえすな(20巻p91)
この劇場にいるみんながみんな・・・・・・
僕とおなじくらいの自意識と主人公意識をもって生きているなんて・・・
気が遠くなる・・・(p123)
マンガを描くときは毎回その時点では「これが最高だ!」と思って描いていて、描き上げたらそれがそのときの自分の中で最高水準なので「おもしろい!」なんて思ったりするのです。(あとがき)
あやまれ!!
あやまれクソブタ!!(p24)
しばらくマンガから手を引こう・・・
マンガが載らないことでこんなに病的な気分になってしまうんじゃ逆効果だ・・・
体に悪い・・・
リハビリに新しいバイトでもして社会に接しよう・・・
しかしもともとは社会に通用しないと思ったからマンガを描きはじめたんじゃないか・・・
けっきょく僕は何もできないのか・・・(p41)
「うわ〜」
(図書館で注意した子供たちか・・・)
「てめえ!!」
「おれ塾あるから一回帰るわ」
「オレも塾だわ・・・」
「じゃあまた夜集まろうぜ」(p144-145)
「とゆうわけで分裂はするは卵は産むはで 一晩最低12回〜」
「うむうむ分かる女ってのは化物だからねー
うちの女房なんかカニと共生してるから危なくってしょうがないもんなー
聞くところによると課長の奥さんはスミ吹くし 社長とこのはケンカの時内蔵吐き出すらしいぜ。
ま なんだ 結婚なんてガマンだよ 呑もう!!」(p25)
「メチャクチャやってもいいんだ」という精神を、俺は吾妻マンガから受け取った。(…)吾妻マンガにおける「楽屋落ち」の過剰な氾濫は、おたく特有の自分たちにしか通用しないジャーゴンの応酬に一見限りなく似てはいるのだが、実はそれとは正反対の、なにか世界の関節をはずすための作業?運動?儀式?(p203)
つき合うって何?って、考えたらわかんない。キスをするかしないかってこと?(笑)でもそれが我慢できるのであれば、つき合わない方が楽な気がする。女友達でも、男友達でも、いろんな話ができたらそれだけで楽しいじゃないですか。でも、つき合うとなると別れたりする。友情だとわりと続くのに、恋愛というのは友情に比べて密度が濃いぶん、早く別れちゃう気がして、それは嫌だなと思って。(p136)
「キィー キィー もうちょっとで食われるとこよっ キー 信じらんない」
「すみませんです」ペコリ
「なんなのよもう! サイテー」プンプン
(てめえなんか食うとこねーよガリガリババァ!)(p116)
・・・あなたの脳みそ
ほぐれろー(p183)
僕たちのはもっと美しいに決まってるじゃないか(第壱話)
本当に大切なモノを見つけるために、誰かとどこから笑おうとしても笑えない何かを見つけるために、くだらないものをのけるために、手あたり次第に笑っていたんだと思う。(あとがき)
「妾の子だから・・・」
夢は所詮自分で考えた妄想なのよ
夢に支配されてどーすんのよ
アンタは今何を見てんのよ
こーゆう状況の夢なら男はどういう選択肢をとるワケ?(p020)
「先生は横着者ですね」
「どうしてだぁ?」
「座ったまま走るなんて」
「バカ 疲れるんだぞ」(『Schweitzer(シュバイツァー)』)
すなわちこの異常な「萌え」ブームとは、『大きな物語』の喪失とういう未知の21世紀型ニヒリズムに対する、我々日本人のほとんど本能的ともいってよい防衛心理の発言なのであろう。故に、あらゆる『物語』の市場は、萌え一色に塗りつぶされねばならないのだ。なぜなら、彼らが本来語るべきであったすべての『物語』は、すでに失われてしまったのだから。(解説 『喪の九龍城』に咲いた『萌え』の花より)
追伸 ブームというものは10年周期、「喪」作品の再ブームが到来した時こそ、『BLAME!』の続編が本格的に再開される時になるのかもしれません。(同上)
『パパと生きる』では母親の役割も果たしている父子関係を描いてみた。その二人の間に、本来なら強い絆で結ばれるはずの、【他人である】母親を参入させて、子供の心の変化を描こうとしたが、結果的には子供を狂言回しに使った中年の男女の恋愛物語のようになった気がしないでもない。(p139「AFTER WORD」)
「別に・・・ママなんかいらないよ、パパと生きる!(p24)」
んだよ・・・
ちっくしょー・・・
魔法なんて信じるもんか!(p12)
「まだ中1だから10万円は、するわよ」
「はいはい、いくらでも払いますよ」
「なによ この子ども銀行って。オモチャのお金じゃない!」
「いいだろ まだ子どもなんだから」(p38)
野球の「ルール」を知りたいけど文章がむずかしくて読むのがめんどうという「お父さん」。もっとわかりやすく説明して欲しいという「お母さん」。もっと簡単に覚えたいという「子どもたち」。